気仙沼市階上地区(旧最知村)出身の「第9代横綱 秀の山雷五郎(1808年-1862年)」。 本名は菊田辰五郎。辰年で五番目ということで名づけられた。 小兵力士(身長164cm、体重158kg)でしたが、努力の結果38歳で横綱まで上り詰め、 幕内成績112勝21敗、優勝相当成績6回を誇る大横綱となりました。 ちなみに当時の横綱昇進は江戸300年の時代に12人だけでいかに大変な偉業かがわかります。 岩井崎にある「秀の山像」は大横綱の名にふさわしく、東日本大震災の大津波に も耐え、立ったままの姿で残っています。 」 この動画は,宮城県教育委員会が平成25年3月に発行した小学校高学年向け道徳副読本みやぎの先人集「未来への架け橋」に掲載されているお話を,映像化したものです。
  • 秀の山雷五郎像
  • 秀の山雷五郎像
  • 秀の山雷五郎像
  • 秀の山雷五郎像
  • 秀の山雷五郎像
  • 秀の山雷五郎像
住所
〒988-0241 宮城県気仙沼市波路上岩井崎1