海岸近くに建立された慰霊塔は震災の津波で一部が欠け、塔に書かれた文字も流されました。慰霊塔と共に整備されていた明戸霊園も津波の直撃を受け、 274基の墓石のほとんどがなぎ倒され、遺骨の多くが流失しました。また、海と共に生活してきた気仙沼市では、震災以外でも多くの漁業者が海の事故で亡く なっています。階上地区にある「海の殉難者慰霊塔」には、600柱(2018年9月時点)が祀られており、毎年9月26日には、海 の殉難者の追悼と今後の安全な航海を祈念し、「海の殉難者追悼慰霊法要」が行われています。 また,慰霊塔の近くには、明治三陸大津波(1896年)と昭和三陸津波(1933年)を伝える石碑が建てられています。この石碑は、東日本大震災の津波で流失しましたが2020年6月に岩井崎付近の防潮堤工事現場で9年以上の時を経て見つかり、気仙沼市は過去の津波の教訓を後世に残すため、元々あった場所付近に石碑を再建しました。 石碑は高さ160センチで幅73センチ、厚さは39センチ。表には「地震があったら津浪(波)の用心」と大きく刻まれています。明治津波の教訓で住宅などを高台移転し、昭和津波では被害を免れたという趣旨の記載もあり、青森、岩手、宮城に約300基ある明治三陸大津波、昭和三陸津波やチリ地震津波を伝える石碑の一つです。 震災前、石碑は共葬墓地の象徴的存在で地域住民や近くの寺院から再設置の要望があり、波路上共葬墓地に石碑を再建。石碑の隣には、津波襲来時の避難先となる階上中までの距離や方向を示す看板も設置されています。 石碑には、震災の津波の脅威を伝えるため、流出で付いたとみられる表面の傷はあえて残されています。
  • 海の殉難者慰霊塔
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  • 海の殉難者慰霊塔
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住所
〒988-0242 宮城県気仙沼市波路上崎野